羽根木公園の「梅まつり」を見た後、世田谷の松陰神社と豪徳寺周辺を歩きました。吉田松陰は江戸時代末期、井伊大老(井伊直弼)に主導された安政の大獄で刑死となり、その4年後の1863年(文久3年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった墓が当地(松陰神社)に改葬されました。
松下村塾(模造)
神社内に当時の佇まいが再現されています。
吉田松陰の墓
一方、豪徳寺は松陰神社からわずか数百メートルしか離れていませんが、徳川時代より井伊家の菩提寺であり、広大な敷地内には井伊家代々の墓が並んでいます。その中には吉田松陰など、多くの尊王攘夷志士を投獄・処刑し、その後桜田門外の変により殺害された井伊直弼の墓もあります。幕末の歴史にその名を残した二人が、共にわずかな距離を隔てて眠っているのもなんとも不思議なものです。またこの井伊直弼も、さかのぼればその祖先がNHK大河ドラマ「女城主(井伊)直虎」に至ると言うのもちょっと興味深いものがあります。
招き猫
徳川の時代に彦根藩主であった井伊直孝により、豪徳寺は井伊家の菩提寺となりました。かつてこの寺で猫が手招きをしたため、直孝はここで一休みすることにしたことが縁であったのだそうです。
井伊家墓所
寺の一隅に井伊家の墓所があります。
井伊直弼の墓