高野山を後にし、日本三古湯のひとつに数えられる南紀白浜温泉で宿泊。次の日は三段壁や道成寺等を観光しました。
三段壁は、南紀白浜温泉「崎の湯」の1.8km南の海に直立する長さ2km、高さ50m~60mに及ぶ柱状節理の大岩壁で、断崖絶壁の名勝です。その切り立った崖の下には大きな洞窟があります。
屏風のように濃緑の海に直立する絶壁が圧巻。地上から約14秒の高速エレベーターで地下36mの洞窟へ入ると、洞窟内に向かって外から打ち込んでくる波が、迫力満点です。
ここを拠点にかつて武蔵坊弁慶の父と言われる熊野別当湛増に率いられた熊野水軍が、源平合戦に参戦し源氏の大勝利に多大な貢献をしたと言われています。その数なんと総勢二千余名が二百隻の船に分乗、源平両軍が対峠する屋島ノ浦(壇ノ浦)に向かったとか。
外から分かりにくいとは言え、よくもまあこんな険しい場所を根城とするものです。しかもあの弁慶の父率いる熊野水軍が、こんなところにあったとは知りませんでした。そしてここから瀬戸内海を壇ノ浦(山口県)まで小舟で戦いに出かけるというのも驚きです。水軍というものはすごいものだったのですね。
道成寺 (どうじょうじ)は、和歌山県日高郡日高川町にある天台宗の寺院で、新西国三十三箇所観音霊場の第五番札所となります。大宝元年(701)の創建といわれ1300年の歴史を誇る県内最古の寺です。
このお寺は道成寺創建にまつわる「髪長姫伝説」(「宮子姫伝記」)や、能、歌舞伎、浄瑠璃の演目として名高い、「安珍・清姫伝説」で広く知られています。
今風に言えば、清姫がイケメンの若い僧侶に一方的に好意を寄せるのですが、彼に逃げられたため大蛇に身を変え、その僧侶を道成寺の鐘つき堂で焼き殺すという恐ろしい話なのです。(平安時代中期に編纂された『大日本国法華験記』にすでに記載あり)
道成寺山門
本堂
三重の塔
国宝 千手観世音菩薩
宝仏殿の中は撮影禁止です。(公開写真より)
このお寺では“絵とき説法”といって、お坊さんが安珍と清姫の物語を道成寺縁起の絵巻の写本を広げて、おもしろおかしく聞かせてくれます。これが実に面白いのです。
また、このお寺には立派な宝仏殿があり、国宝や重要文化財など二十数体の仏様を真近に見る事が出来ます。どれもすばらしいものですが、中でも日光菩薩と月光菩薩を両脇に置く、御本尊の国宝千手観世音菩薩はとても大きくて見事なものでした。この宝仏殿でたくさんの仏像を見られただけでも十分に来る価値がありました。
そして、お寺の門前でお土産に買った「釣鐘まんじゅう」が、とてもしっとりしていて、これが実においしかったです。